教育の連携
不登校という言葉ができて、そうなった子は『学校に行けなかった』。
時を経て、生徒指導という面で学校というところが殆どまともに機能していないことが露見して、子ども達には『学校に行かなくても良い』という言葉を遠慮なく掛けられるようになった。
そして、今。
『もう学校には行かない方が良いんじゃないか?』とすら思うことが起こっている。コロナ騒動で、さらに学習環境は悪化。ますます学校の存在価値は下がる一方であるのに、当の学校はそれに対して危機感を持ち合わせていないようだ。
生徒が不登校になっても家庭訪問はおろか電話もよこさない。
公立だろうって?
いえいえ、私立の話です。私立の方がむしろ冷たい面があります。
私は単なる塾屋なのだが、今まで何人も学校に行けない・行かない子と向き合ってきた。勿論、程度の軽い子ではあったろう。
が、そういう子達を見るにつけ、なぜこの子が学校に行けないのか不思議に思うことが多かった。
共通するのは、優しくて、感性が豊かなのである。
そして、頑張り屋さんが多いのである。
すると余計な軋轢のある所にわざわざ行かなくても良いか…ということになるのだ。
ただ、ここに少し高いハードルがある。19歳になる前の春に『世間』へ出て行けるようになれるかということなのである。勿論、そこで足踏みしても構わないのだが…。
乳児から幼児、児童、そして生徒。さらに学生…大人になっても支えてくれる人が必要なケースもある。一人の子を切れ目なくサポートしてゆくシステムが今はない。縦割りでブツ切れなのである。
これを改善することが『子どもの学びと育ちを考える会』の主旨の一つである。
11月28日(土)第2回目の相談会が実施された。
各所の担当者に、新しくメンバーに加わって頂いた幼児教育のプロ、瀧川先生を交え、スタッフ同士で意見交流をすることができた。
まだまだ未知数ではある。が、確実に形は少しずつできてきている。
従来にはなかった『連携』も生まれた。
詳細が決まり次第、広報させていただきたい。
そして、もしもこれをご覧になった方で手を貸してくださる方がいらしたらお声を掛けてください。必ずしも教育関係の方でなくても結構です。様々な『場』や『機会』の提供は大変ありがたいです。
子は国の宝ですから。うちの子、よその子区別なく育てた昔の日本の良さが手本です。