間違いだらけの中学受験+α

小さい小さい個人塾の塾長ブログです。

コロナ疲れ

新型コロナウイルス、今日は全国で〇〇人の感染者が出ました』と夜のワイドショー。ほんとにいつまでやってんだろと呆れ果てる。

そして、ますますTVを付ける時間が減る。(あ、これはいいことだ(^^; )

 

Face Bookでも色々コロナについて語ってみたけれど、やっぱり本音は無用に怖がっている人が圧倒的だ。

いや、勿論それで結構なんだけれど、感染症という括り方からすれば不公平なほど『大物扱い』である。新コロナはそんなに大物ではない。日本じゃインフルエンザ以下だ。

 

よって、もうこの話題はなるべく触れない。見聞きはしても立ち入らないことにした。

 敢えてノーマスクを高らかに謳うでもなく、かといって卑屈に付け続けることもしない。店に入る時、エレベーターに乗る時…密はダメなんでしょ?付けますよちゃんと。

 

ただ、コロナと判定されたら社会的に『成敗』される(^^;

この方がきつい。

 日本っていつからこんな意地悪な国になったんだろう。

全然豊かな社会じゃない。

弱者にやさしく? 嘘言いなさんなって(>_<)

 

まぁ、いい。

コロナはやんぴである。

 

いまさら訊けない

オトナになって家庭も持って、子どももそこそこ大きくなると今更聞けないことがたくさんあります。

 

子育てがそうかもしれません。

 

いや、ネットがあるじゃない!

 

いえいえ、ネットでそういうことを上げている人は自慢が多いです。

 

自らを児童教育の先生か心理学者だと勘違いしています。

 

子どもと接していると、『これ、なんとかしなければ…』と感づかれることが多いはずです。それとなくママ友に聞いてみてもすっきりしません。

距離が近いと聞きにくいこともあるからかもしれません。

 

今さら訊けないこと、どうぞ相談してみてください。

きっと山ほど原因がわかります。

受験勉強を見させていただいている間に教科のメソッドよりも育て方の方に問題が多い気がしてきます。さらに、観察眼も身に付くのです。

学問でやってはいませんが、原因と結果を多く見ているのでアドバイスができるのです。

 

で、そこからです。

では、とりあえず何から修正するか…です。

特効薬はありません。

子どもが10歳とすれば10年かかってついた癖をどうやってほぐすか…難しいです。

転んで学べ

子どもはよく転びます。膝や手をすりむきます。

でも年とともに段々転ばなくなります。無用な怪我も減っていきます。

小さい頃は友達を些細なことで喧嘩をします。時には取っ組み合いもします。

 

これ、昭和の話になってしまいました。

 

転ばぬ先の杖どころか、網で掬って助けてしまうのが今の親です。

 

でも、いいんですかね?

 

年齢に見合った失敗は成長の大きな糧となるのです。

 

それを取り上げたら、偏った成長をしてしまします。

 

身体は大きくなり、外見は成長し多様に見えますが、心は幼稚なままかもしれません。

 

私がこの仕事をし始めた40年前ですら、子どもの精神年齢は昔より低くなっていると言われていました。

 

朝寝坊したら、送って行かないで遅刻させてください。

弁当を忘れても届けないでください。

フォローするからまたやってしまうし、誰かをあてにします。

こんな子が大人になって社会に出てきたら周囲が迷惑します。

 

千尋の谷に突き落とせとはいいませんが、もう少し厳しく育てた方がいいのではないですか?

親と子の距離間、そして教育と躾

昔、こんなCMがありました。

『mother、mを取ったらother…』つまり他人(正確には複数形ですが)になるという意味です。

私は、この言葉、結構いけてると思っています。

親と言っても踏み込み過ぎてはいけない領域があるはずです。少子化社会でなかった頃の日本の家庭では、結果的にこの境界線が守られていました。

けれども、豊かになり、子どもの数が減って、親はどんどん子どもに過干渉をするようになります。

そこに、受験が絡みます。

すると、母親が先生になってしまうのです。

よくファストフード店で宿題をしている母子を見ますが、あれは最悪の状態なのです。

 

昔から私はお預かりした子どもの保護者にはこう言い続けています。

親は躾だけしてください。

教育は学校に任せてください。

受験は塾屋がします…と。

 

この立ち位置を間違うと秩序が崩れます。

そうです!今はこれがもう無茶苦茶です。学校は教育していません。

塾は教育していると勘違いし、親はその端末になり果てているのです。

どうして、『任せる』ことができないのでしょうか?

なぜ、一度信用して預けたのなら最後まで信用しきれないのでしょうか?

豊かだから?無理が通る社会だから?少子化で子どもを優遇するから?

 

自慢ではありませんが、私は少年時代、電車に親子で乗って自分は座りませんでした。

お前は半額だ。立ってなさい…そう母親は言いました。席が空いていてもです。

今、真逆です。

親が席を取って、子どもがそこに座ります。なぜ?塾の宿題をするから?

 

だから日本がだめになるんです。

親がまず大人になりましょう。

そして、きちんと躾だけしてください。

声を出さない。挨拶をしない。これがまず一番いけません。

いくら勉強ができても私はこういう子を優秀だとしてみません。

これができないで大人になっても、成功しないのです。

 

謙虚と勤勉こそが日本人の特質です。

 

軌道修正

塾を立ち上げて二年目の後半に入った。今年はコロナ騒動で思い描いていたようにはいかなかったが、こんな状況でも続けられたことにまずは感謝しなければならない。

現状ではほとんどの子が来年受験する。その入試が終わり次第、再度基本に立ち返って再出発したいと考えている。

 こういう形で子ども達をお預かりしていると、どうしても他塾の補助というデマンドが出てくる。どこの塾でも個別を併設しているし、難関校受験と銘打った個別指導塾も多い。そんな現状を見るにつけ疑問に思うことが多い。

塾に通いながら別のところで宿題を見てもらう。

それはどうなのか。自力で宿題がこなせないということになる。

別の先生に教えてもらわないと宿題がこなせないということは塾がマッチングしていないということになる。

 このような環境に慣れてしまうと、いつも誰かに教わる習慣がついてしまう。勉強も運動と同じで、心肺機能を高めなければならない。しんどさを乗り越える程度を知るから、次のしんどさに耐えられるのである。

 やはり預かるなら丸抱えで預かりたい。そして、こと勉強に関しては万障を繰り合わせてほしいわけである。あれもこれも…のうちの一つでは、勉強は絶対に伸びない。

そして、私の性格上、役に立っているという実感が欲しい。

感謝がほしいのではない。自己満足なのだが、『役に立てた』と感じたい。それは自分への褒美であり、次なる課題克服の燃料になるのである。

迂闊

私を含めた一般の日本人は根底がお人好しである。『いくらなんでもそんなひどいことはしないだろ』という思想が心根にある。

だから最近まで農作物を収穫ギリギリで盗むというような卑劣な犯罪はなかった。しかし、ここ何年か前からこういう盗人が出現している。

 

まさかそんなことは…このDNAに刻まれたお人好し思想の裏をかいた政治家がいる。

内閣総理大臣鳩山由紀夫という御仁だ。

 

彼は国税庁の課税台帳からある地域を削除したという。

それはどこのことか知っている人は日本人は実にすくないはずだ。

 

いわゆる北方領土である。

そう聞いて奇異に感じるのが普通である。

戦前ではなく平成の世、それもほんの10年前の話だ。件の元総理が台帳から南樺太、千島列島の島々を削除してしまったということです。

言い換えればその時点までその地域は『日本の領土』であった証なのです。

この地域は戦後のGHQ統治を無視してソ連から引き継ぎロシアが勝手に占有しているだけなのです。

でもその担保となる台帳から削除してしまったら、証がなくなったわけです。

 

こういうことを報道するのが社会の公器たる所以、マスコミの使命であるはずですが、今の日本ではそんなことは望めません。貶めることはしても、食い止めることは絶対しない。

 

そして本来お人好しの日本人は迂闊にも自分たちでそれを見張るということをしなくなっているのです。

 

まさか、そんなひどいことはしないだろう…と。

 

いやいや、居るんです。国民の代表や宰相にも。