意識改革
そう書くとなんだか空恐ろしいが…。
やっぱり人間っちゅう生き物はかなり大きな衝撃を受けないと根本的には変われないと思っている。(その一番の好例が私である。)
私は塾のセンセイなどという仕事に就きながら、よく自己否定してしまう。
というか、私に言わせてもらえるなら、世間にある“〇〇塾”のほとんどにはその看板から“塾”の字を取ってもらいたい。
塾ってそんなんちゃうやろ?!
あんたらのはトレーニングセンター。
システムは確かにしっかりしてる。
ま、そこで伸びるならどうぞと思う。
でも、そこでほんとにいいんですか?と思う。
何故なら“そういう集団”のほとんどは初めに持っていた哲学を持っていないからである。
一店舗の時にはとてもおいしかったおはぎ屋が大きいチェーン店になると味が落ちる…あの図式と同じだ。
店主が社長になって、じぶんちの玄関で何が起こっているのかがもう耳に、目に、入ってこないのである。
ヒトの意識を変えうるのはシステムではないはずだ。
ヒトは人でしか育てられない。
人生の辛酸を嘗め尽くせ。そこで初めてわかるものがある。
何とか学をちょっとかじったくらいで全部分かったっ風顔で子どもの前に立たないでほしいものだ。
自分の命ほども大切な我が子。
その子を預ける相手を誤ってはいけない。