イシダ塾、引っ越します(^^)v
予想もしなかった展開です。
2年前、とりあえずという形で物件をお借りしましたが、私の嫌いな両側に挟まれた部屋。少人数でやりたいという思いにはばっちりの部屋でした。
ところがコロナが来て、めちゃくちゃダメージがあって、どうしようかと思っていた時、同じ階のテナントさんが出ることになり、たまたまオーナーさんにそれを聞いたら、後に入りますか?とごく気楽に言ってくださり、話がどんどん進み、来月から正式に変わることに。。。というかもう動いていいそうなので、順次移していこうと思っています。
今度の教室は主には動画作成用の部屋になりそうなので黒板を入れました。
今まで使っていたホワイトボードは、横が180センチだったのですが、今度の黒板は横が240cmあります。これで画面から黒板が切れることがなく、かつ、問題と解説をスペースを気にせず書くことができます。
そして何より、黒板!さらには暗線入り!
アライはほぼこれで授業をすることはないでしょうが、すごく良い感じです(^^)v
(いや、なにか動画配信でもしたくなてきた!)
そして、5月からもう一つ大きなことが始まります。
オンライン進学塾です。
名は、「すご腕受験」と言います。
「塾」を名前に入れなかったのは戦略、だそうです(^^ゞ
私は黒子に徹し、やっていきます。
色々新しいことに触れて、新鮮な毎日です。
まだまだ形ができていないので、しばらくは大変です。
ホームページはまもなくアップします。
イシダ塾は当然この塾と連動します。
世論という名の集団リンチ
ご報告
1月16日から始まった中学入試。
イシダ塾に来てくれていた子達は素晴らしい結果を残してくれました。
その中の一人の子が報告に来てくれました。
完全制覇です!
おめでとう!!努力が実りました。
コロナで色々とありましたが希望を見失うことなく努力を惜しまなかったことがこの結果につながったのだと思います。
その子は使っていた赤本を残してくれました。
それが驚くほどきれいでした。
使い方に二種類あります。ボロボロになるまで使い込む派とコピーを取って元はきれいに残す派です。
その子は後者のタイプだったのです。
何より、そこに自分が居た証という意味に私は受け取りました。
赤本を置いて行ってくれるというのは本当に嬉しいのです。
心からおめでとう!
これからもずっと応援します。何かあったら相談に来てください。
何もなくても顔を見せてください。
成長が楽しみです。
リトマス試験紙
奇しくもというか、実は偶然だと思っていたことが必然だったかもしれないのだが…コロナ禍とアメリカの大統領選挙の騒動が重なった。
一連の騒動は、人の立ち位置をものの見事に色分けた。
あたかもそれはリトマス試験紙のようであった。
日本は、日本人は平和の中にどっぷりつかっている。
鉄のカーテンよりももっと分厚いシールドで『真実』を覆い隠されている。
ほんの少し疑問をもって指先を動かせば体に入る真実があるのに、大方の人はそれすらしない。
そして、怖い怖い。
または、潔くない、男らしくない…そんな感想をこの2つの出来事に対して思った。
年明け早々、世界は動乱に時期に入るかもしれない。
大多数が『嫌っている』現アメリカ大統領は、実は歴代稀に見る憲法順守主義者であり、平和主義であることを知る人は少ない。
洗脳がこれほど浸透しているとは思ってもみなかった。
そのことに恐怖する。
混沌
初春の緊急事態宣言から終始コロナウイルスに引っ掻き回され、大切な時間や機会やイベントを悉くぶち壊された一年でした。
ウイルスに触れるとあっという間に重篤化し死に至るならまだしも、感染者などという不明瞭は呼び方で数だけは増え、その分恐怖心までも煽られ、日本国中、世界中が慄きました。
確かに欧米での死者は多い。
日本は少ないから平気だ…とは言いませんがそこに何か大きな誤解があるように思えます。願わくばそれが意図的でないことを祈ります。
子ども達の『一年』はそれぞれに特別です。一生に一度しかない『一年』です。
中でも卒業年次は特別かと思います。
その特別な行事を一つずつ経験し、無事に終えてゆくことでの成長は計り知れないものがあるはずです。
が、今年はただ怖がるばかりで大人は子どものためを考えなかった一年です。
GoToで旅行に行け!と勧めておきながら、ほとんどの学校が修学旅行を取りやめました。多数で移動してよいのに、『感染予防ができない』という理由で大学は門を閉ざしたままです。
誰も責任を取らない。
責任の所在を明らかにしないまま、一年が過ぎようとしています。
コロナウイルスの『感染者』がゼロになる日など絶対にきません。
いつどこでピリオドを打つ気なのか?
それはリーダーの腹一つです。
今の日本にそんな英断を下せるリーダーはどこにも居なさそうです。
それが残念でなりません。
この空白の一年(一年では済まないだろうが)は必ずどこかでツケがが回ってきます。大人はそれを忘れてはいけません。
教育の連携
不登校という言葉ができて、そうなった子は『学校に行けなかった』。
時を経て、生徒指導という面で学校というところが殆どまともに機能していないことが露見して、子ども達には『学校に行かなくても良い』という言葉を遠慮なく掛けられるようになった。
そして、今。
『もう学校には行かない方が良いんじゃないか?』とすら思うことが起こっている。コロナ騒動で、さらに学習環境は悪化。ますます学校の存在価値は下がる一方であるのに、当の学校はそれに対して危機感を持ち合わせていないようだ。
生徒が不登校になっても家庭訪問はおろか電話もよこさない。
公立だろうって?
いえいえ、私立の話です。私立の方がむしろ冷たい面があります。
私は単なる塾屋なのだが、今まで何人も学校に行けない・行かない子と向き合ってきた。勿論、程度の軽い子ではあったろう。
が、そういう子達を見るにつけ、なぜこの子が学校に行けないのか不思議に思うことが多かった。
共通するのは、優しくて、感性が豊かなのである。
そして、頑張り屋さんが多いのである。
すると余計な軋轢のある所にわざわざ行かなくても良いか…ということになるのだ。
ただ、ここに少し高いハードルがある。19歳になる前の春に『世間』へ出て行けるようになれるかということなのである。勿論、そこで足踏みしても構わないのだが…。
乳児から幼児、児童、そして生徒。さらに学生…大人になっても支えてくれる人が必要なケースもある。一人の子を切れ目なくサポートしてゆくシステムが今はない。縦割りでブツ切れなのである。
これを改善することが『子どもの学びと育ちを考える会』の主旨の一つである。
11月28日(土)第2回目の相談会が実施された。
各所の担当者に、新しくメンバーに加わって頂いた幼児教育のプロ、瀧川先生を交え、スタッフ同士で意見交流をすることができた。
まだまだ未知数ではある。が、確実に形は少しずつできてきている。
従来にはなかった『連携』も生まれた。
詳細が決まり次第、広報させていただきたい。
そして、もしもこれをご覧になった方で手を貸してくださる方がいらしたらお声を掛けてください。必ずしも教育関係の方でなくても結構です。様々な『場』や『機会』の提供は大変ありがたいです。
子は国の宝ですから。うちの子、よその子区別なく育てた昔の日本の良さが手本です。
常識
私にとって、『常識がない』と言われることは最大の恥である。
恥ずかしいかどうかが行動の基盤となって生きている。
そしてそれは『世間』が真っ当であることが担保になっているわけだ。
ここで、思うのである。
子ども達に、私の『常識』を教えても、今の世間じゃ通用しないのかもしれない。逆に変な発想を持っていると言われるかもしれない…そんなことを思ってしまうことが少なくない。
第1期のクマ塾生にこんな子が居た。
塾では夕食の時間を挟む授業の日はお弁当を持ってきてもらう。
それには他にも理由があったのだが、ともかくお弁当だ。
食べ終わる。片づける。
ある子が使い捨てのお弁当箱をビニール袋に入れて、カバンにしまったのである。私は、理由を聞いた。
するとその子はこう言った。
『生ごみはよそで捨てないで持って帰るように言われてる』と。
私は恥ずかしい思いがした。と、同時にこんなことまで気を遣って子どもを育てている親が居るのかと感心した。
誰も見ていないところでの行儀作法がしっかりしているのである。
勉強ができたのか?
当たり前である。成績優秀児であった。しかも、リーダーシップもあった。
残念なことだが今の自塾では、弁当屋で買ってきた弁当箱をそのままゴミ箱に捨てる子が居た。ただ、その子は指摘されて、大いに納得はしてくれたのでそれは救いだ。
結局、大人がダメなのである。
大人が行儀悪いのに子どもが良くなるわけがないのである。
全てが万事そういうことなのである。
真っ当と思う持論は教え切るのが教育。
クレームを言われたら簡単に折れるのはサービス業。
塾が『教育』の看板を背負いたいのなら、理不尽な圧力に屈してはならない。