常識
私にとって、『常識がない』と言われることは最大の恥である。
恥ずかしいかどうかが行動の基盤となって生きている。
そしてそれは『世間』が真っ当であることが担保になっているわけだ。
ここで、思うのである。
子ども達に、私の『常識』を教えても、今の世間じゃ通用しないのかもしれない。逆に変な発想を持っていると言われるかもしれない…そんなことを思ってしまうことが少なくない。
第1期のクマ塾生にこんな子が居た。
塾では夕食の時間を挟む授業の日はお弁当を持ってきてもらう。
それには他にも理由があったのだが、ともかくお弁当だ。
食べ終わる。片づける。
ある子が使い捨てのお弁当箱をビニール袋に入れて、カバンにしまったのである。私は、理由を聞いた。
するとその子はこう言った。
『生ごみはよそで捨てないで持って帰るように言われてる』と。
私は恥ずかしい思いがした。と、同時にこんなことまで気を遣って子どもを育てている親が居るのかと感心した。
誰も見ていないところでの行儀作法がしっかりしているのである。
勉強ができたのか?
当たり前である。成績優秀児であった。しかも、リーダーシップもあった。
残念なことだが今の自塾では、弁当屋で買ってきた弁当箱をそのままゴミ箱に捨てる子が居た。ただ、その子は指摘されて、大いに納得はしてくれたのでそれは救いだ。
結局、大人がダメなのである。
大人が行儀悪いのに子どもが良くなるわけがないのである。
全てが万事そういうことなのである。
真っ当と思う持論は教え切るのが教育。
クレームを言われたら簡単に折れるのはサービス業。
塾が『教育』の看板を背負いたいのなら、理不尽な圧力に屈してはならない。