鈍感力
昔、そんなタイトルの本があった。
人や物に対する感じ方は人それぞれである。
鋭敏に分かり合えたら話ははやいんだけど、なかなかそうも行かない。
相手が自分のペースを掴むまで気付かぬふりをして待ってあげる方が上手く行くことが多い。
私はこの仕事をするようになってもう長いが、そういう意味では“待てる”ようになった気がする。
人間誰しもよく思われたいという気持ちは多かれ少なかれあるはずだ。
だから自我を出すことに慎重になる場合が多いのだろう。
もしかしたら個別を選ぶというのはそういう傾向が強いからかもしれない。
今の特に大阪の“受験事情”からして私は自分の塾の方針をこれしかないと思っている。私と言うアダプターを使って自分の世界を作ってほしいのである。
相手を見てどんなアダプターがその子に(場合によっては親御さんに)必要なのか探ってゆくのである。
でも不思議なことに、適当に利用してやろうと思う人は私をうまく使えないで終わることが多い。
全力で駆け引きなしにぶつかってくる子が上手くやれる。
そうやって大人になった子はきっとどこに行ってもそれなりに上手くやれるはずだ。こざかしいテクニックを身に付けることより、信用できると思った人に全力ぶつかる方がいい。だからこちらはそれができるように、信頼されるべき人で居なければならない。
機嫌によって気分がころころ変わるような人間は子どもの前に立つべきではない。いつも同じ。これが大切である。もちろん簡単なことではないのだが…。