枯渇
子どもの相手をしていると、いろんなものを『もらって』しまう。
その状態の程度によって、やはりかなりのエネルギーは使っているはずだ。
60をとっくに過ぎて、私はめんどくがり屋になっている。
だのに、文句を言うとか、言うことを聞かない子を叱るとか…私がやりましょうと引き受ける。
ただ、正直、面倒だなぁと覚悟をくくって取り掛かる(^^;
が、こと子どもに関することは嫌とは言わない。
が、大人は違う。
アドバイスをくれと言われたとする。
乞うた側のエチケットとして変化の兆しをほんの少しでいいので見せろよと思う。
さらに、“その後の報告”が欲しいではないか。それをしないオトナの相談には乗らない。
ま、その前に。
見てわからん奴には、言うてもわからんのである。
どんな世界だってそうではないのかな?
黙って座ってりゃ全部教えてくれる。
今、日本中がそうなりつつある。
なんだっけ、あれ。
家電をわざと不親切に作ろうとする動き。(車業界ではすでに始まっている)
それと同じなのである。
教育はもっと“不親切”で“素朴”がいい。
そして、子ども達は“切ない”という経験するべきだ。
何かの差を意識することは人間の糧となる。
そうすれば、変わる気もないのに“相談に乗って”とはならない…のではないのかな?
ちゃうかなぁ…!(^^)!